2012年10月03日

碑を読む(2)


■妻恋の詩碑

私が住んでいる北九州市の都心から程近い山あいに河内貯水池がいつもまんまんたる水を湛え、憩いの場として私たち市民を迎えてくれる。
この貯水池は、官営八幡製鐵所が直営にて計画し、大正8年に着工、8年がかりのすえ昭和2年に完成したもので、当時のコンクリートダムとしてはわが国最高のダムであった。

《註:河内ダム以降に着工した木曽川・大井ダムが河内より早く完成したことから1位の座を譲ることになった》

このダムの建設には北九州市の水道とかかわりのあった沼田尚徳氏が設計から施工まで総監督にあたり、私の大先輩で鰹シ尾設計創業者松尾愛(ヨシ)亮(スケ)氏が工事管理に従事したことから、私自身ことのほか愛着を感じ、よく湖畔を散策したものだ。

20年ほど前のことだろうか、ある新聞のローカル版に『河内貯水池の底に幻のSL』との記事が、また、それを追うようにして「妻恋の詩碑」をテーマにした物語が地方文芸誌に掲載され、巷間、話題を呼んだ。

私もこの詩碑の碑文に興味を覚え、散策ついでに「妻恋碑」の存在を確かめようと探してみたが見当たらない。湖畔に住む古老などにたずね歩いた挙句、やっと待望の石碑にめぐり合うことができた。それはダムサイトから上流に向かってはしる曲がりくねった県道の右手、木立に包まれた鎮守の神様『白山宮』の参道の石段を上り詰めたところにあった。

石碑の正式名は「沼田康子記念碑」(原文縦書)

  予曩(サキ)ニ河内水道工事ヲ督シ 拮据(キッキョ)経営
  殆ンド十年 幸ニ其功ヲ成スヲ得タルモノ
  固(モト)ヨリ神明(シンメイ)ノ加護ニ依ルト雖(イエドモ)亦
  吾妻ノ内助ニ負フ所少ナシトセズ
  憾(ウラ)ムラクハ 天 之ニ假スニ年ヲ以テセズ
  工事畢(オワ)ルニ垂(ナン)ナントシテ 溘(コウ)焉(エン)幽ニ歸セリ
  予深ク其志ヲ哀ミ 悼(トウ)亡(ボウ)五絶ヲ作ル

          貞魄今安在 佳人隔九泉
          舊歓歸一夢 腸斷落花前

              昭和三年春日 召水 沼田尚徳

あちこちに漢文調の難しい字句が散見されるので、辞書と取り組みながら自分なりに訳してみた。

『私は、先に河内水道工事の監督に従事し、一所懸命に働いてまる十年。
幸いにしてこの建設事業を成功させることができた。
だが、これも神様のご加護によるものと思っているが、
妻の内助の功に負うところが大きかった。
残念なことに天は年月を与えて下さらず、
まさに工事が終わろうとしたときに、
妻は幽明境を異にしてしまった』
(西本訳)

私はその志をあわれみ、妻の死を悼みここに五言絶句をつくり捧げる。

貞魄今安ラカニ在リ 佳人九泉ヲ隔ツ
旧歓一夢ニ帰ス   腸ヲ断ツ落花ノ前

『貞節な妻は、遠い黄泉の国へ逝ってしまった。
 仲睦まじく幸せだった想い出も夢のようである。
 桜のなかにいて、はらわたを切られる思いである』
(山村律氏訳)

沼田尚徳は土木技師としても名を成していたが、この碑文にも見られるように名文家でもあり、かつ、詩人としても卓越した才を持ち合わせていたものとおもっている。

河内貯水池建設当時の工事日誌は、今も、鰹シ尾設計の社長室の書棚に収められている。

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妻恋の碑(表)                                      妻恋の碑(裏)

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白山宮                                              河内貯水池「めがね橋」



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2012年08月29日

碑を読む(1)


想えば60年余にわたる水との長いつきあいである。

昭和26年、八幡市(現在の北九州市八幡東区、八幡西区)の水道部に入り、昭和63年、北九州市をリタイヤするまで、ただひたすらに上水道のみちを歩み続けてきた。

いまだに水とのご縁が続いている。

そのようなことから全国各地の水道施設を見学する機会に恵まれた。そして、その度に難解な字句で綴られた水道碑との出会いが始まった。「碑文」その片言隻句のなかに垣間見られる水道人の水へのおもいを…自分なりに解釈し…汲みとることができればと思っている。

■坎徳無窮(かんとくむきゅう)

平成15年10月末のことである。

岡山市での日本水道協会の全国総会に出席し、ついでながら同市水道局の施設(三野浄水場)を見学させて頂いた。岡山市の水道は歴史も古く明治38年7月、日本で8番目に通水したという。ちなみに、北九州市では門司水道が明治44年11月、全国で22番目に開設された。三野浄水場内にある水道記念館の上部に掲げられている石額が私の目を引いた。

「坎徳無窮」と刻まれている。

大字典によれば「坎」は「陥」と同意で、この場合水のことを指しているようである。古く中国・晋の時代、海賦作「嚝哉坎徳卑以自居(ひろきかな坎徳、卑をもって自居す)」と水の徳を讃えた一節があり、坎徳はこれから引用したという。「坎徳無窮」とは、水の徳は永遠に変わることなく続くという意味で水の尊さを教えたものと解する。

そういえば新潟酒の銘柄に「上善若水」というのがあった。『上善は水の若(ゴト)し、水は善く万物を利して争わず衆人の悪(ニク)む所に処(オ)る。故に道に幾(チカ)し』(老子)。道家の祖、老子によれば『最高の善は水のようなものである。水は万物を潤して多くの恩恵を物に与えているが、決して他とは争わず人の嫌がる低い所に安んじている。だから、水こそ無為自然に近い』と水の徳を称えている。

水道人の憲章ともいわれている水徳五訓の第四章に『常に低きにつき地下にありては万物を育成化育するものは水なり』とある。何れの文も同意でわれわれ小人にとって水に学ぶこと大である。

【水道記念館】
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■不舎晝夜(ちゅうやをおかず)

広島市水道局牛田浄水場の水道資料館で見かけた碑である。

広島市の水道は、明治31年に創設された日本で6番目に古い施設で、当初軍用水道から出発したことから陸軍次官児玉源太郎が布設部長として建設に当たった。この石額は、創設時牛田取水門中央上部に掲げられていたもので、昼も夜も休みなく流れ続ける《母なる川・大田川》の恩恵を思い、児玉中将が中国の故事…論語・子罕(シカン)「不舎晝夜」…にならって筆を振るったという。

『ひろしま水道物語』によれば、昭和20年7月6日、原爆が投下され全市が火の海と化したその日も市民の水を絶やすことがなかったという。まさに「不舎晝夜」を地でいった水道局職員の奮闘振りには頭の下がる思いである。今もなお、不断水記録は続いている。

この石額と同意の碑が川崎市水道局の導水トンネル出口にある着水井の銘板に「滾滾不盡※」と刻まれている。滾々とは、言葉の響きから感じられるように水の盛んに流れて尽きないさまを表したもので、その語源は詩聖杜甫の七言律詩『登高』の一節「不盡長江滾滾来」(不尽の長江、滾々として来たる。)であると考えられる。

※ 滾々(コンコン)として尽きず。

また、「不舎晝夜」碑の横隣には、時の内閣総理大臣伊藤博文公の筆による「深仁厚澤」(ふかきなさけ、手厚きめぐみ)という石額が据え付けられている。この四文字熟語も中国の古言に源があり、深仁とは宏大な人徳という意味で明治大帝の深い恵みにより創設された水道と解され、厚澤は大自然の無辺な水徳を意味している。

何れも見事な石碑である。

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posted by しん at 16:42| Comment(0) | 碑を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月09日

早春賦

平成23年は、3.11 東日本大震災、その後夏から秋にかけての台風・豪雨災害など日本列島は大変な年になった。私も5月から半年ほど病床につき、ベッドの上での生活を余儀なくさせられた。かくして鬱屈した気分を引きずったまま年の瀬を越した。

一月 『冬来たりなば、春遠からじ』

このところ暖冬気味の冬が続いていたが、今年も昨年に引き続き寒い冬となり、特に大寒(24節気の一つ、1月25日ごろ)の頃になると寒さが一層骨身にしみて「春よ来い」と希う。

古く、中学生のころ習った英文“Winter is over, Spring has come”を思い出す。直訳すれば「冬が過ぎて、春が来た」ということになるが、これでは味も素っ気もない。この句を日本語的には「冬来たりなば春遠からじ」と詠んだ。この風韻のある日本語訳は春を待ちわびる人々の心情をうたったものとして心に響く。

それにしても、昨今の子どもたちの言葉の乱れには、目を覆いたくなるものがある。いつぞや数学者藤原正彦は、エッセー『祖国とは国語』のなかで「国語教育絶対論」を展開し、国語の授業時間を削り続けたゆとり教育を厳しく批判している。

「悪貨は良貨を駆逐する」のたとえ、美しい日本語は何が何でも風化させてはならない、とつくづくそう思う。

二月 『春は名のみ』

 二月に入ると、つい口ずさみたくなるのは「早春賦」だ。



 早春賦(新作唱歌) 作詞 吉丸一昌 作曲 中田章

  1、春は名のみの 風のさむさよ
    谷のうぐひす 歌はおもへど
    時にあらずと 声もたてず
    時にあらずと 声もたてず

  2、氷融け去り 葦は角ぐむ
    さては時ぞと おもふあやにく
    今日もきのふも 雪の空
    今日もきのふも 雪の空

  3、春と聞かねば 知らでありしを
    聞けばせかるる 胸のおもひを
    いかにせよとの この頃か
    いかにせよとの この頃か

第1連の「春は名のみ」は、今や立春の枕詞となり、「谷の鶯」春の雰囲気を見事に表現している。第2連の「角ぐむ」は芽ぐむの意、「角ぐむ葦」は春の季語だそうだがさすがに国文学者の作詞者だけあって表現の豊かさには敬服する。第3連では春へのあこがれ、「胸の思い」を歌いつくしている。歌の舞台は信州安曇野、穂高川が合流するこの地に「早春賦」の歌碑が建てられている。

作詞者の吉丸一昌(1873~1916)は、豊後国北海部郡海添(現在の臼杵市)の出自で、大分中学から第五高等学校を経て東京帝国大学国文科を卒業、その後中学教師を経て東京音楽学校の教授となった。五高時代での夏目漱石との出会いが彼の進路を決めたともいう。

話は変わるが、臼杵市を訪ねた折、大正・昭和期の作家野上弥生子(1885~1985)の生家(野上記念館)に立ち寄ったことがある。彼女も夫の野上豊一郎を通じて夏目漱石を知り、漱石の推薦で処女作「縁」を世に出し、作家としての地位を確立した。

明治から昭和初期に生まれた唱歌の作詞者をみると、錚々たる国文学者が名を連ねている。古典の暗記や読書など、一貫した国語教育の実りが多くの優れた歌を生んだのではないだろうか。そういえば、現在の大学文学部国文科は一体如何なっているのだろうか。その存在すら忘れられているようでなんとなく淋しい。
posted by しん at 07:52| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

ドナルド・キーンを探せ

6月29日夜、何げなくテレビのスイッチを入れたところNHKの「クローズアップ現代」が流れていた。

その日の番組名は、判然と覚えていないが、国谷キャスターと製作スタッフが、精力的に作り上げたもので、ゲスト出演者はドナルド・ローレンス・キーンさん(89歳)でした。

小生もそうだが、多くの日本人にとっても初めて耳にする人物であった。

 紹介されたところによると、1922年ニューヨーク市生まれ、米コロンビア大学名誉教授で、日本文学の研究者。

1年の半分ほどは、東京都北区の自宅で過ごしていたが、こよなく日本人及び日本の風土を愛し、東日本大震災では、大変心を痛め「私は、日本という女性と結婚」と言って、日本人として永住帰化したとのことであった。

キーンさんの日本を愛する心に深く感動を覚え、今回「ドナルド・キーンを探せ」ということになった次第である。

 もう一つの話題は、小生のふるさと、福岡県田川市の自慢である。

子供のころから見続け、遊びまわった炭鉱と炭鉱住宅、これを描いた山本作兵衛作品が、世界遺産の記憶遺産として世にデビューしたことである。

 何れも、ほとんどの日本人に馴染みのないものであった。
posted by しん at 08:17| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

地球の温暖化について考える


 今年の冬はことのほか寒さ厳しく、元日早々から北海道、東北、北陸、山陰にかけて大雪、鳥取では大雪により交通渋滞が起り、一時的には千台がストップ、約600台が車の中で正月を迎えたとのことが報じられていました。

 南国九州でも、各地の幹線道路が交通止めになり混乱しました。昭和38年以来のことだそうです。

 また、1月16日には私が住まいとしている北九州市においても、今季最低の氷点下3.2 ℃を記録し、水道管の破裂事故が225件起ったとか、このところ暖冬気味の年が続きましたので、多少の戸惑いを感じました。

 北九州の気象(気温)について触れます。

 北部九州の気象観測に携わっている福岡管区気象台は1890年(M23)に開設され、以来120年間、休みなくいろいろな気象データを提供し続けてきました。
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 この気象台の1951年から2010年までの気象観測記録をもとに、40年先の2050年の「年平均気温」を近似式から割り出してみますと、グラフのように世界と同じく温暖化の傾向をたどり、1951年からの100年間で約3.3 ℃の気温上昇が起るものと推定されます。緯度的に見れば福岡市が鹿児島市の地点まで南下し移動したようなものでしょうか。

 その道の専門家の話によりますと、50年先の日本には四季は無くなって「春、夏、冬」の三季になるのではないか。

 寒いのも困りますが冬の訪れも無く、雪も降らない国になるのもこの上も無く寂しいものです。

 そういえば近ごろ、夏の風物詩ともいえる「アキアカネ」の姿を見かけないようになりました。そのうち、昔なつかしい叙情歌「赤とんぼ」も、こどもたちの頭の中から消え去ってしまうのではないかと、つい思ってしまいます。

 昨今、北海道にて洞爺湖サミットがわが国主導のもとに開かれました。温暖化と気候変動による地球環境を守り抜くことが、この会議に課せられたテーマでした。またそのことは新ミレニアムに生きる者としての務めでもありましょう。

 美しい国、とはいかにと考えるとき、ふるく万葉の世界に思いは馳せるのです。

 『万葉集第二、舒明天皇(第34代)の国見歌』

 大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香(か)具山(ぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり) 立ち立つ 海原(うなはら)は 鴎(かもめ)立ち立つ うまし国そ 蜻蛉(あきづ)島(しま)大和の国は

 国土の理想的な姿を格調高くうたった初期万葉にふさわしい一首でありましょう。「うまし国」を「すばらしき水の惑星」と、置き換えてみたら如何なものでしょうか。

*上記万葉集の注釈
群山⇒多くの山、群がっている山。 とりよろふ⇒「都に近く寄っている」の意、「そなわりととのう」の意とする説もある。 国原⇒国のひろびろとしたところ。 立ち立つ⇒さかんに立ちのぼる、さかんに飛ぶ。 海原⇒広々とした海。

 訳 ⇒ 『大和には多くの山々がありますが、つい都のそばにある天の香具山に登ってみました。そして広いこの国を眺めてみますと、煙はさかんに立ちのぼり、広々とした海には鴎が勢いよく飛んでいました。なんと美しい国でしょうか。あきつしま「大和の国」は。』
posted by しん at 20:48| Comment(1) | 気候変動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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