2012年08月29日

碑を読む(1)


想えば60年余にわたる水との長いつきあいである。

昭和26年、八幡市(現在の北九州市八幡東区、八幡西区)の水道部に入り、昭和63年、北九州市をリタイヤするまで、ただひたすらに上水道のみちを歩み続けてきた。

いまだに水とのご縁が続いている。

そのようなことから全国各地の水道施設を見学する機会に恵まれた。そして、その度に難解な字句で綴られた水道碑との出会いが始まった。「碑文」その片言隻句のなかに垣間見られる水道人の水へのおもいを…自分なりに解釈し…汲みとることができればと思っている。

■坎徳無窮(かんとくむきゅう)

平成15年10月末のことである。

岡山市での日本水道協会の全国総会に出席し、ついでながら同市水道局の施設(三野浄水場)を見学させて頂いた。岡山市の水道は歴史も古く明治38年7月、日本で8番目に通水したという。ちなみに、北九州市では門司水道が明治44年11月、全国で22番目に開設された。三野浄水場内にある水道記念館の上部に掲げられている石額が私の目を引いた。

「坎徳無窮」と刻まれている。

大字典によれば「坎」は「陥」と同意で、この場合水のことを指しているようである。古く中国・晋の時代、海賦作「嚝哉坎徳卑以自居(ひろきかな坎徳、卑をもって自居す)」と水の徳を讃えた一節があり、坎徳はこれから引用したという。「坎徳無窮」とは、水の徳は永遠に変わることなく続くという意味で水の尊さを教えたものと解する。

そういえば新潟酒の銘柄に「上善若水」というのがあった。『上善は水の若(ゴト)し、水は善く万物を利して争わず衆人の悪(ニク)む所に処(オ)る。故に道に幾(チカ)し』(老子)。道家の祖、老子によれば『最高の善は水のようなものである。水は万物を潤して多くの恩恵を物に与えているが、決して他とは争わず人の嫌がる低い所に安んじている。だから、水こそ無為自然に近い』と水の徳を称えている。

水道人の憲章ともいわれている水徳五訓の第四章に『常に低きにつき地下にありては万物を育成化育するものは水なり』とある。何れの文も同意でわれわれ小人にとって水に学ぶこと大である。

【水道記念館】
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■不舎晝夜(ちゅうやをおかず)

広島市水道局牛田浄水場の水道資料館で見かけた碑である。

広島市の水道は、明治31年に創設された日本で6番目に古い施設で、当初軍用水道から出発したことから陸軍次官児玉源太郎が布設部長として建設に当たった。この石額は、創設時牛田取水門中央上部に掲げられていたもので、昼も夜も休みなく流れ続ける《母なる川・大田川》の恩恵を思い、児玉中将が中国の故事…論語・子罕(シカン)「不舎晝夜」…にならって筆を振るったという。

『ひろしま水道物語』によれば、昭和20年7月6日、原爆が投下され全市が火の海と化したその日も市民の水を絶やすことがなかったという。まさに「不舎晝夜」を地でいった水道局職員の奮闘振りには頭の下がる思いである。今もなお、不断水記録は続いている。

この石額と同意の碑が川崎市水道局の導水トンネル出口にある着水井の銘板に「滾滾不盡※」と刻まれている。滾々とは、言葉の響きから感じられるように水の盛んに流れて尽きないさまを表したもので、その語源は詩聖杜甫の七言律詩『登高』の一節「不盡長江滾滾来」(不尽の長江、滾々として来たる。)であると考えられる。

※ 滾々(コンコン)として尽きず。

また、「不舎晝夜」碑の横隣には、時の内閣総理大臣伊藤博文公の筆による「深仁厚澤」(ふかきなさけ、手厚きめぐみ)という石額が据え付けられている。この四文字熟語も中国の古言に源があり、深仁とは宏大な人徳という意味で明治大帝の深い恵みにより創設された水道と解され、厚澤は大自然の無辺な水徳を意味している。

何れも見事な石碑である。

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posted by しん at 16:42| Comment(0) | 碑を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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